最近知ってびっくりしたこと 192
429:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 19:58:21.81 ID:a/Rt81KI.net
430:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 20:49:51.43 ID:dOxcSff7.net
当時としてはかなり待遇よかったんだよ。
431:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 20:57:26.50 ID:hEwq40Ri.net
第一次大戦で衰えるまでの長い間には、確かに悲惨な職場もあった。
でも主な労働者供給元だった飛騨地方からは概ね好意的な評価が多かったようだ。
ああ野麦峠の映画の脚色には違和感を覚えた老女は多かったとも言われる。
当時は10代20代で結核などで亡くなることは当たり前だったからね。
432:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 21:18:56.77 ID:oJo4dlZA.net
「ああ野麦峠」は今で言う左翼のアジテーションみたいな小説であって、
たしかに一部の女工は酷い目にあっていたけど、富岡製糸場は設立当初から
好待遇だった。
文化庁や群馬県関係者らによると、明治5年の設立当初に働いていた女工は約400人。
労働時間は1日8時間、週給1日、夏と冬に10日ずつの休暇。食費や寮費などは
製糸場が負担。明治26年に民間に払い下げられてからは、労働時間が長くなるなど
環境は悪化したものの、「女工哀史」のような過酷な環境ではなかった。
教育施設も併設され、女性工員たちは辞めた後も、地元の製糸場などで指導的な
役割を果たすことが少なくなかったとか。
435:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 21:38:39.49 ID:9NUq8bQB.net
誤:設立当初から
正:設立当初は
官営時代は当時としては破格の好条件だったが、民営化してからは悪化した。
まあ、他と同等になっただけだろうけど、他もほとんどブラックだったということだ。
436:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 21:38:46.15 ID:xZexLOAL.net
元々士族の子女が、各地の工場の指導ができるよう教育する目的があったしね。
437:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 21:40:41.22 ID:xZexLOAL.net
慰安婦とかもそう。
今の倫理観からしたらおかしくても、当時は合法で当たり前なことはいくらもあるのに。
438:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 21:49:40.72 ID:ypG0nOsi.net
明治時代、絹織物が日本の特産品だった(富岡製糸場の力による)のは知っていたけど、
養蚕技術そのものも日本の技術が優れていて、幕末にシーボルトがヨーロッパに持ち帰った
江戸時代の日本の養蚕技術書がフランスとかで翻訳されて、
当時のヨーロッパでの養蚕技術向上に使われたと知ってびっくりした
学校で習った富岡製糸場とかの官営工場って、お雇い外国人とかそういう
欧米の技術を導入して発達したとだけ思っていたから、
養蚕の技術そのものは元から日本で世界レベルで発達していたのだとは知らなかった
明治に導入されたのは、あくまでも大量生産のための欧米の技術なんだな
と、そういうことを知った直後に富岡製糸場が世界遺産登録勧告、という話を聞いたので
世界遺産は世界的に普遍的な価値を持っていないと登録されにくいと聞いていたけど、
なるほど日本の絹産業は(石見銀山の銀と同じように)
世界規模の貿易においても重要な商品だったんだなと
440:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 22:19:48.24 ID:IU9eFtSf.net
縫製の良さと技術も日本物が一番いいよ。
縫い代の取り方とか縫製の基本的技術が違う。
海外ブランドの服とか縫製も処理も雑だもん。
442:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 22:47:21.07 ID:hEwq40Ri.net
縫製技術と合成化学の話を混ぜるな。
合成繊維の名前、メジャーな奴は軒並みデュポンなど欧米系に抑えられてるだろw
日本の合成繊維工業界は戦後になって欧米企業と提携した時に、初めて見る物ばかりだったんだよ。
戦後「も」とあるが、戦前の日本の化学工業のレベルなんて酷いものだった。その基盤から出てくる合成繊維の品質を推察してくれ。
444:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 22:54:27.94 ID:hEwq40Ri.net
たまたま明治維新前後に中国の生産現場が大混乱してグダグダになったから、欧米商人が日本に買い付けに来たわけだ。
第一次大戦中のヨーロッパ市場喪失で大不況になった後で、立ち直ってきた中国製の絹に追い抜かれて、日本の絹産業は立ち直れずに壊滅したんだよ。
悲惨な労働環境の話は、産業壊滅前の状況が一番時代的に後になるから強く残った記憶なんじゃないかな。誇張ではなくある程度事実の集積だと思う。
壊滅した紡織機械関連企業は精密金属加工技術を持っていたから、やがて時計作りで成功し始める、セイコーなどが諏訪に本拠地があるのはそのため。
446:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 23:06:12.37 ID:ypG0nOsi.net
絹の技術が中国伝来ってことくらい、知ってるよ
だから今回、富岡製糸場と一緒にシルクロードも世界遺産登録ってのに納得
当時の日本の養蚕技術が世界水準というのもびっくりだったけど、
むしろ、当時のヨーロッパの絹の技術が、そこまで達していなかったというのにびっくり、という感じかな
明治の頃は何でも欧米がお手本、というイメージがあったからさ
448:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/06/22(日) 23:20:13.98 ID:4SqO9mhl.net
引用元:最近知ってびっくりしたこと 192
>>自分もびっくり
知らねーよッッ
「あぁ野麦峠」は悲劇ばかりを強調してないけどな、むしろそれは映画だろ
それに結核で死んだのより、腹膜炎で死んだ女工の方が多かったとも書いてあった
原因は食事が腹一杯取れる事だと
あの頃の農民の食事は粟や稗が普通で白米など口に出来なかった、けど製糸工場では当たり前に食べられるので嬉しくて食べ過ぎて・・・みたいな
勤務時間も民間は酷かったみたいだが、自分ちで農業やってるより楽だったと取材された女工は答えていたし
また、ネトウヨの日本礼賛か。
もういいよ。
最近待遇が良かった話ばっかりでてくるから首を傾げていたのだけど、
民営化してから悪化したのね。
母の知人がここに勤めていて悲惨な話ばかり耳にしていたから疑問だったんだ。
上垣守国
養蚕秘録で検索
「あぁ野麦峠」学校で見させられた
100円で家が建つ時代に、ひと冬で100円稼ぐ100円工女って
結構な高級取りやんっておもた
昔ジャンプ放送局に、哀☆戦士、みたいなペンネームいなかった?
男は仕事、女は家庭なんてのは団塊世代の遺物だよ
実家暮らし男、専業主婦なんてのは裕福な家の長男や長男と結婚した女だけで
次男以下の男や、女はもれなく実家を追い出され働かざるをえなかった
日本人は元々共働きの文化であり勤労は美徳とされてきたんだよ
あえて言おう、専業主婦は日本の文化じゃない
こないだニュースで待遇の話やってたけど、ありゃ現在でも通用するわ。
ていうか現在のそんじょそこいらの企業よりよほど厚待遇。
歴史的な話はソース無しで語られても
ひたすら妄想まき散らしてるようにしか見えんのだよなあ…
右左の思想にかかわらず
飛騨地方の世界遺産白川郷を出て女工になった人は、そこは居心地が良かったとも。田舎の大家族制度って本当最悪だったんだな
ヨーロッパも産業革命期には年端もいかない子供を使い捨てにしてバンバン死なせてたしね
当時の状況・価値観と今の価値観と、いろんな意味で考えさせられるね