引用元:今までにあった修羅場を語れ【その7】

704名無しさん@おーぷん2015/01/19(月)10:54:47 ID:f0n

私の父は間接的に母をころした屑。
父と私の教育方針で揉めて嫌悪な仲となった。
私は当時幼稚園年中。
父は女は大学に行かせる必要も習い事に行かせる必要もないという考えで、
母はいまどき性差で大学進学を決めるなんておかしい。あくまで娘の意思で決めたいが、大学進学したいと言い出したら行かせてやりたいと。
ちょうど私はこの頃、ピアノ教室に通いたいと頼み込んでいた時期でした。
5歳上の兄はサッカー、水泳と通わせてもらっており、子供ながらも父に私にピアノ通わせてやってよ。俺ばっかりズルイじゃんと意見していた。
ちなみに私はこの事はうっすらとしか覚えていない。全て兄から聞いたものです。


そんなこんなで母は自分の独身時代の貯金でピアノに通わせると言い出し、父は激昴。その金は義実家のリフォームに使うんだーっと拗ねて部屋に籠った。
母が離婚を意識し始め、それを察知した父は自分が有責になるのを恐れ浮気でっち上げをおこなった。
父の友人が母に、父に渡しておいて欲しいものがあると呼び出す。そこを別の友人が写真に収めるという馬鹿丸出しの作戦だった。
しかしその作戦は未遂に終わる。母は
私と兄を連れて行ったのである。
もちろん母は罠だとは知らない。
幼稚園児の私ではあやふやになるが、小四の兄が『浮気現場ではない』という証言出来てしまうため、失敗。
それを知った父はイライラMAX。失敗のもとの兄をこれでもかってぐらい蹴飛ばした。




705名無しさん@おーぷん2015/01/19(月)11:13:39 ID:f0n

母は私達を連れて自宅を飛び出し、近所に避難。快く二軒先の夫婦が助けてくれた。
それからはトントン拍子に離婚が決定。私達は母子家庭となった。
それから数年間、母はみるみる元気が無くなっていった。それもそのはず、なをだか怖いおじさん達が脅しにくるんだもの。
兄は恐怖で嘔吐、私は泣き叫ぶ。母が警察に相談していたかどうかは知らない。物凄く鮮明に覚えているのは、
どんなに引っ越してもおじさんが必ず私達を見つけ、凸してくること。
母は病み、無気力になり私と兄は完全なネグレクト状態となった。
それでも兄はそれなりに一人でなんでもできる年齢になっていたから、料理などをしてくれていました。
でも次第にお金が尽きていく。母が働けなくなった。完全に病んでしまってどうしようもない状態。
それでも怖いおじさん達はやってくる。私と兄は恐怖で外にも出られなくなってしばし登校拒否に。

怖いおじさん達は父の従兄弟達や友人、後輩達でした。
もうスーパーDQNで警察が捕まえても捕まえてもわらわら湧いてくる人数だったらしい。
さっさと復縁しろやと何人もの人間が母に迫り、母はじさつした。
この件で本当に何人の人間が捕まったかわからない。母の死は父が望んだ結果だったのか。
ちなみに父はわりと早い段階で捕まっていた。最初に脅しをかけてきた奴らと同時に捕まっており、
その後に凸してきた奴らは尊敬する父をコケにした制裁のつもりで自主的に行っていたものであった。




707名無しさん@おーぷん2015/01/19(月)11:20:57 ID:f0n

これだけの人数を動かせる父は何者だ?と成人した私と兄は疑問に思っていた。
親族もいないので結局何者かはわからなかったが、あのガラの悪い連中がお仲間なのだから、ロクなもんではないと思う。
最後に思ったこと。母は父のどこに惚れて結婚したのか。これは母が遺したメモ帳で判明した。
どうやら毒親(母方祖父母)に妹(母の妹)の進学の件で脅されて結婚したらしい。
細かい背景はわからない。母のタンスの奥にあった小さなメモ帳に殴り書きで書いてあったから。




708名無しさん@おーぷん2015/01/19(月)11:23:32 ID:f0n

ちなみに母妹には会ったことがない。探す気にもなれない。とにかく母は色んな犠牲に見舞われた人生だったと思う。
母と笑いあってた日に戻りたい。戻れないけど。




706名無しさん@おーぷん2015/01/19(月)11:17:45 ID:BEL

なにそれ、893?




709名無しさん@おーぷん2015/01/19(月)11:27:06 ID:BEL

父親とは今も繋がりがあるの?
お母様が安らかである事を祈ります。




710名無しさん@おーぷん2015/01/19(月)11:41:56 ID:f0n

>>709
無いですね。父からの接触もまったくありません。




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