引用元:今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その20
495:名無しさん@おーぷん : 2017/11/10(金)11:11:04 ID: ID:E6R
人によっては胸糞かもしれないですが。
父方の祖母を亡くしたときに、なにか自分の中で激変した話。
昔はおばあちゃん子だったのだけれど、祖母が脳梗塞で寝たきりになったり、そのタイミングが運悪く私の思春期と重なったりしたために、いつしか嫌いになっていた。
祖母の部屋があったのだが、部屋には簡易トイレがあって臭かったし、時たま部屋に呼ばれたので行けば「鼻をかんだティッシュを捨ててきてくれ」とか「学校は楽しかった?」とか。ティッシュだって汚いって思ってたし、部屋は臭いから長居したくないし。
そんなこんなで、いつしか私は祖母の部屋から聞こえる私を呼ぶ声を無視するようになっていった。
私が「ただいま」と言って帰ってくると、聞こえる呼ぶ声が嫌で、急いで自分の部屋に駆け込む。
さらには「ただいま」すら言わずに、気配を消して帰ってくるようになった。
高校生になると祖母は施設に入り、身の回りの世話をしてもらっているおかげで、身なりも少し綺麗になったし、体に染み付いていたおしっこの匂いもなくなった。
だから、少しだけ「汚い」って思う気持ちが減った。
父が「おばあちゃんに会いに行こう」と言って、週に一回休みになると施設に通った。
お昼の時間になると、私は必ずご飯を食べさせた。
ニコニコしながら「ありがとう、良い子だね」と褒めてくれる祖母に対しては嫌いとも好きとも思わなくて、ただ中学生のときの罪滅ぼしだと思ってお世話していた。
そうして、私が大学生になってすぐにそんな祖母が亡くなった。
嫌っていたはずなのに、すごく悲しくて、その時から祖母が私を呼ぶ声に悩まされた。
あの臭く汚い部屋から呼ぶ私の名前の声が、突然耳から離れなくなって、未だに時たま聞こえる気がする。
きっと私は自分の中で中学生のときの行いを償いきれてないのだろうと思い、母方の祖母に優しくするようになった。
父祖母にはできなかったことを精一杯、母祖母で償おうと思った。
だけどいつしか、骨ばったしわくちゃで冷たい手が、なんとなく「好きだなー」って思うようになって、地元の老人ホームに就職して、仕事しながら介護福祉士の資格を取った。
大変な仕事だけれど、介護士になって5年経つけれど、未だに辞めたいと思ったことはない。
むしろ、どんどんお年寄りが好きになっていく。
おじいちゃんもおばあちゃんもみんな可愛いって思うし、なんだか愛おしいって思う。
母祖母が「生きている間に〇〇(私)ちゃんの花嫁姿が見たいわ」って言っていたのになんとか間に合って、縁あって結婚したが、その年に母祖母も亡くなった。
未だに父祖母が私を呼ぶ声が聞こえるけれど、父祖母を亡くしてから自分の人生が激変したのが衝撃的だった。
それまでは、大学出て、てきとうな会社に勤めて~…なんてふわふわした人生設計だけれど、まさか誰も私が介護士になるなんて思わなかっただろう。
親ですら「まさかお前が人のために尽くす仕事に就くなんて」って言ってたくらい。
最初は罪滅ぼしだと思って邪な気持ちから、なんとなく始めた勉強が実を結んで、今は天職だと思える仕事に従事してることが、とにかく衝撃的だった。
父方の祖母を亡くしたときに、なにか自分の中で激変した話。
昔はおばあちゃん子だったのだけれど、祖母が脳梗塞で寝たきりになったり、そのタイミングが運悪く私の思春期と重なったりしたために、いつしか嫌いになっていた。
祖母の部屋があったのだが、部屋には簡易トイレがあって臭かったし、時たま部屋に呼ばれたので行けば「鼻をかんだティッシュを捨ててきてくれ」とか「学校は楽しかった?」とか。ティッシュだって汚いって思ってたし、部屋は臭いから長居したくないし。
そんなこんなで、いつしか私は祖母の部屋から聞こえる私を呼ぶ声を無視するようになっていった。
私が「ただいま」と言って帰ってくると、聞こえる呼ぶ声が嫌で、急いで自分の部屋に駆け込む。
さらには「ただいま」すら言わずに、気配を消して帰ってくるようになった。
高校生になると祖母は施設に入り、身の回りの世話をしてもらっているおかげで、身なりも少し綺麗になったし、体に染み付いていたおしっこの匂いもなくなった。
だから、少しだけ「汚い」って思う気持ちが減った。
父が「おばあちゃんに会いに行こう」と言って、週に一回休みになると施設に通った。
お昼の時間になると、私は必ずご飯を食べさせた。
ニコニコしながら「ありがとう、良い子だね」と褒めてくれる祖母に対しては嫌いとも好きとも思わなくて、ただ中学生のときの罪滅ぼしだと思ってお世話していた。
そうして、私が大学生になってすぐにそんな祖母が亡くなった。
嫌っていたはずなのに、すごく悲しくて、その時から祖母が私を呼ぶ声に悩まされた。
あの臭く汚い部屋から呼ぶ私の名前の声が、突然耳から離れなくなって、未だに時たま聞こえる気がする。
きっと私は自分の中で中学生のときの行いを償いきれてないのだろうと思い、母方の祖母に優しくするようになった。
父祖母にはできなかったことを精一杯、母祖母で償おうと思った。
だけどいつしか、骨ばったしわくちゃで冷たい手が、なんとなく「好きだなー」って思うようになって、地元の老人ホームに就職して、仕事しながら介護福祉士の資格を取った。
大変な仕事だけれど、介護士になって5年経つけれど、未だに辞めたいと思ったことはない。
むしろ、どんどんお年寄りが好きになっていく。
おじいちゃんもおばあちゃんもみんな可愛いって思うし、なんだか愛おしいって思う。
母祖母が「生きている間に〇〇(私)ちゃんの花嫁姿が見たいわ」って言っていたのになんとか間に合って、縁あって結婚したが、その年に母祖母も亡くなった。
未だに父祖母が私を呼ぶ声が聞こえるけれど、父祖母を亡くしてから自分の人生が激変したのが衝撃的だった。
それまでは、大学出て、てきとうな会社に勤めて~…なんてふわふわした人生設計だけれど、まさか誰も私が介護士になるなんて思わなかっただろう。
親ですら「まさかお前が人のために尽くす仕事に就くなんて」って言ってたくらい。
最初は罪滅ぼしだと思って邪な気持ちから、なんとなく始めた勉強が実を結んで、今は天職だと思える仕事に従事してることが、とにかく衝撃的だった。
496:名無しさん@おーぷん : 2017/11/10(金)11:30:37 ID: ID:Dn4
>>495
きっとどちらのお祖母ちゃんも感謝してると思うし、自慢の孫だと思ってると思うよ
きっとどちらのお祖母ちゃんも感謝してると思うし、自慢の孫だと思ってると思うよ
497:名無しさん@おーぷん : 2017/11/10(金)11:49:55 ID: ID:E6R
>>496
ありがとうございます。
そう言ってもらえると、少し心が軽くります。
本当に父祖母には悪いことをしました。
結局、父祖母の死が転機だったために、何もしてあげられなかったというのが未だに心残りです。
少しずつ「お年寄りに優しくしよう」と思うようになって現在がありますが、今の気持ちの一欠片でも中学生の自分にあったらなあと思います。
これからも自分の仕事に誇りを持って、少しでも自慢の孫だと思ってもらえるように生きていきます。
ありがとうございます。
そう言ってもらえると、少し心が軽くります。
本当に父祖母には悪いことをしました。
結局、父祖母の死が転機だったために、何もしてあげられなかったというのが未だに心残りです。
少しずつ「お年寄りに優しくしよう」と思うようになって現在がありますが、今の気持ちの一欠片でも中学生の自分にあったらなあと思います。
これからも自分の仕事に誇りを持って、少しでも自慢の孫だと思ってもらえるように生きていきます。
自分だったら、大した用もないのに一々ひとを呼びつける人間なら身内でも普通に嫌って当然と思ってしまうな
デカい声で名前呼ばれるの嫌だよねえ
それでこっち来て当然と思われるのも嫌だ
介護士と弁護士ってちょっと漢字が似てる
素晴らしい。「嫌だ」と思う気持ちは当然、その後後悔する事も
普通の感覚。ちゃんと自分の気持ちに正直に向き合えているところが
素晴らしい。どうも最近の世の中には「矛盾は許さない」「矛盾など
自分の中には存在しない」「矛盾する行動言動をした者は断罪してやる」
という極端で不健康な精神の持ち主が多いらしい。そしてそういう人達ほど
向き合わなければいけない矛盾や葛藤を「存在しないもの」として無視、
消去してしまう。そしてそれが無用な不幸を生んでいるように思える。
泣ける
私も祖母のことでは後悔してる。
介護してるとき、介護士に向いてると勧められたけど勇気がなくてなれなかった。この人はすごいと思う。
絶対に気持ちは届いてるよ。
幸せになってね。
自力で歩けない人間が用があるときに呼ぶのは当然だと思うけど。誰もいかなきゃそれこそ家のなかが糞尿まみれになるし。コメント1は知能低い人なのかな?
例えば報告者さんが将来、父方の祖母のようになって、自身の孫に同じように接せられ、しかしその後同じような心境の変化があって、天職だと思えるような仕事に従事することになったらどう思われますか。きっと、自慢に思うでしょう。きっと、道しるべになれたことに喜び、悔いる姿に「いいんだよ」と声をかけたくなるでしょう。今頃、天国で色んな人に自慢してると思いますよ。
私も介護の仕事してるけど、職場でみるじいちゃんばあちゃん達は可愛い、大好きって思えるけど
実家のばあちゃんは嫌い(小さい頃からばあちゃんも私達家族を嫌っていた)要はその人のバックボーンをどれだけ知ってるかも大事だと思う。うちのばあちゃんだって外では可愛いがられてるし、身内か他人かは介護では全然違ってくる。
素敵やん・・・
どっちのばあちゃんもちゃんと見てるよ
自慢の孫だもの
後悔は後ろ向きに縛りつけるだけとも思うけど
本人が前向きに転換して力にできたのなら素晴らしい
嘘松
一緒に住むのとたまに会うのはやっぱり違うよ。今一緒住んでるけど嫌いになってる
思春期だからとかいう予防線がなければいい話だった。申し訳ないとおもってる反面やっぱり仕方の無いことだと思ってそう。実際嫌なものは嫌だしね。
自分は3歳のときに、救急車で祖母が運ばれていくところから、
半身不随になって帰ってきたところまで、覚えている。
その日から、20年間、ずーっと介護している(祖母は鬼籍となったが、祖父が長寿なので、まだ続いている)。
祖母は体が不自由だったし、喋ることがうまくできなかったけれども、煩わしく思ったことも避けたこともない。
か弱い祖母を自分が絶対に助けるのだと、誓っていたから。
そこで一つ、思春期でどうのというところは同意しかねる。
おそらく、父方のお祖母さんを含む、家族内のご高齢の方々が優しかったから、そのような言動をとるができたのではないか。来ないことを責めないし、鷹揚に赦してくれるから。それに、甘えていたのだろう。
なにはともあれ、優しい心で素晴らしい職業に就いたことは、凄いと思うと同時に尊敬する
嘘松厨嫌われてて草