小学校時代、贔屓の酷い教師が始めた『得点表』という仕組みにより『下層組』に仕分けされた生徒は転校する事になった。空きの出た『下層組』には自分が入る事になり…

引用元:今までにあった修羅場を語れ【その2】

159名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)00:18:37 ID:tJ8UIP81x

吐きだし。長いです。

小学生のころ、3〜4年生の間はほぼ毎日修羅場だった。
担任は40歳くらいだったろうか。ヒステリーBBA。依怙贔屓もひどい。以下BBAと記す。
BBAのお気に入りはとことん優遇され、気に食わない奴はみんなの前で最下層の生物扱い。

ヒステリックに騒いだり、怒りポイントがわからないのでビクビク暮らしていた。
子供にとっては恐怖でしかなく、文字通りの恐慌政治が行われていたんだ。
そのなかでも覚えているのが、黒板の得点表。

・黒板の半分に線を引き、班ごとの得点表を毎日書いていた。表を作って貼るんじゃなくて、黒板の半分に毎日書く。
誰それが発言した、+10点。A山(気に入らない)はヘラヘラしてる、-15点。B川は調子悪そうだけど(根拠なし)よく学校きた、+5点。
ちなみに得点の基準は、BBAの気分。

・残りの半分で授業での板書。書くスペースが狭いから、すぐに前のが消されてしまう。追い付けない子は最初はゆっくり書いてくれと懇願。
しかし「気に入らない」との理由でマイナス点をつけられ、重なれば「グズ」と認定され下層組へ。

・4年に進級したころ、BBAは腱鞘炎になった。ただでさえ雑な板書がもっと雑に。
しかし得点表はまめにつける。下層組がなにかやらかしてマイナス点をつけるとき「こんなに手が痛いのに書かせやがって!」と喚く。

・毎日の気分でつけられる得点が積み重なると、小さい表彰状がもらえる。それを10枚集めると大きい賞状。
さらに集めるともっと大きい賞状。しかし下層組は最初の賞状をもらう段階でケチをつけられるので、全然集まらない。
お気に入りの子に大きい賞状を授与すると同時に、下層組の人間性を否定する演説が行われる。

・4年になると、それまで半分だった得点表は3分の2近くにまでなる。ますます板書(略




160名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)00:19:26 ID:tJ8UIP81x

もう一つ。「クラスをよくするために悪いことをしている人がいたら、教師机の上にある半紙に書いて箱に入れて報告する」制度が始まった。
投稿者は匿名でもかまわないが、悪いことをしたとされる子は実名で報告される。それをホームルームで読まれ、BBAの気分によって罪が決まる。
結果は言うまでもないと思うけど。要するに社会主義国家や独裁国家における密告および人民裁判とまったく同じ。
休み時間、なにかあれば「紙に書くぞ!」が脅し文句になる。下層組へのそれは決定的な攻撃力をもっていた。
つまり下層組へのいじめが増長される。目だったことをやれば、それが悪いかどうかに関係なくホームルームでのつるし上げが待っている。

みんな疑心暗鬼になっていた。休み時間はお互いが警戒しながら、心行くまで遊べなかったことはよく覚えている。
大人しく、揚げ足をとられないように過ごすことが精いっぱいだった。

最初のころ、俺は最下層組にはかろうじてはいらない中の下の平民だった。
早々に下層認定されたN君がスケープゴートになっていたおかげで、表面上は穏やかだった。
内心はいつあのヒステリーとつるし上げがまっているか、気が気でなかったが。

N君は生まれつき難聴気味で、補聴器を普段から使っていた。BBAはことあるごとにそれを責めていた。
「こいつは都合が悪くなると、すぐ耳が聞こえないふりをするんだ!こんな人間にはなるな!」と。
ある時、誰かのノートがなくなったと騒ぎになった。BBAは一人ずつ荷物検査をするという。
N君が自分のノートを見せると、なぜかなくなったノートの切れ端と思われるものが。
でもあまりにも不自然だった。N君は自分のノートを悪びれもせず見せたのだ。
今思えば、盗ったやつの行動ではなかった。N君の「そんなばかな」という表情は忘れられない。

しかしそんなことは関係ない。BBA発狂。聞くに堪えない差別と罵倒の言葉を余すところなく並べ、N君は抜け殻のようになっていた。
しばらくしてN君は転校していった。彼は決して疚しい人間ではなく、一緒に家で遊ぶと友達を気遣い、穏やかながらも楽しい奴だった。
でも彼が公然と侮辱されているところで、俺は何もできなかった。BBAが怖かったから。
今思えば、自分もクズだ。自分の保身のため、スケープゴートになっているN君を見て少し安心していたのだから。




161名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)00:22:09 ID:tJ8UIP81x

そしてN君がいなくなったことで、空きができた最下層組に補充が行われた。
一人ではなく数人。その中に自分も入ってしまった。N君を見捨てた罰だろう。
こまごまとしたイビリは日常茶飯事。何事も起きない日があったら、それは幸せな一日だった。

毎日が修羅場。その中で自分にとって一番ひどかったのは、鼓笛隊の練習。
4年生はほぼ全員リコーダーを使っていた。練習時間になりコーダーをもって・・・
しかし自分のリコーダーが見つからない。忘れたはずはなかった。当然BBA発狂。

結局、部品の一部(足部管)がなくなっているクラスの予備のリコーダーを無理やりもたされ練習に参加。
でも音はまともにでるわけがない。というか音を出したら「ピ!」と高い音がでるからふく真似だけしかできない。
近くで見ていたBBA発狂。前に連れ出され「吹いてみろ」と強要される。しかしまともに吹けないから
「こいつは普段の行いが××だから〇〇(もう泣きそうだったので覚えてない)」と嘲笑しながら罵倒。

放課後、BBAに呼び出される。「お前はどれだけダメな人間なんだ」と説教という名の罵倒。
言い返せず、泣きそうになる。「泣けば済むと思っているのか!母親を呼んでやる!言い訳してみろ!」と。
本当に母親が呼ばれた。「息子さんはリコーダーを忘れて皆に迷惑をかたくせに反省のかけらもない」と。
信じてしまった母親がオロオロしながら職員室に来たが、話の辻褄があわないので少しずつ「あれ?」となる。

ここでBBAは信じられないことをした。鬼畜の顔をなくし、菩薩のような表情で母を諭しだした。
「子供だから失敗もある。私はそれを暖かく見守ってやりたいし、私もそうする」みたいなことを優しく。
子供を信じきれない母も愚かなのだが、悪いことをしたと思ったら意外に優しくされた安心感からか、母は泣いてしまった。
でも自分はよくわからない不条理さ、悔しさでぼろぼろ泣いてしまった。BBA、「ほら、彼も反省したようですし。」と母を返す。
(余談だが、こういう件の積み重ねで自分は母を親として今でも信用していない面がある)




162名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)00:24:26 ID:tJ8UIP81x

翌日、俺はホームルームでつるし上げをされた。内容は、どのように俺が泣いたかの詳細な説明。
BBA「先生がどこに忘れて来たか、きいてやってるのにね。こいつ・・・泣いてるの!www鼻水だしてww」

最後に荷物を全部ひっくり返して、どこにもリコーダーがないことを証明し、「リコーダーをなくしたクズ」のレッテルを貼られて終わることに。
ランドセルやその他カバンだけでなく、教室の後ろの荷物入れも全部ひっくり返された。
しかし、そこにリコーダーはあった。前日、この荷物入れはくまなく見た。道具箱と体操着入れしかなく、当然中身も念入りに調べたのは覚えている。
友達も一緒にさがしてくれたから。もうわけがわからなかった。一瞬、あの時のN君の呆然とした顔が浮かんだが、すぐにBBAのヒステリーにかき消された。
あとはもう覚えていない。それから亀のように閉じこもった気持ちで4年の終わりまで過ごした。正直、このころの思い出なんて何もないんだよね。

ただ、4年の修了式が終わった時、なんとも言えない解放感があった。
5年からの担任は、厳しい男の先生だったけど理不尽はなかった。楽しいこともいっぱいあったからよく覚えている。
もし3・4年のクラス会があって、BBAも来たらおそらく70前後の老人を汚く罵ってしまうかもしれない。
今は子供もいて、人を貶めたり意味もなく罵倒したりするようなことはするなと教えている・・がそれを自分がやぶってしまいそうな気がする。

でもあんな暗黒クラスの同窓会なんて誰も企画しないし、行く気もしない。
でもそれよりN君にちゃんと謝りたい気持ちが強い。
もう30年も前に引っ越してしまって、どこにいるかもわからない。
たまに今でも申し訳ない気持ちでいっぱいになって、心の中だけ軽く修羅場になる。




167名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)09:49:05 ID:kYEwPVE6m

ID変わってるだろうけど>>159-162です。
いくつか補足。
イニシャルはAではない。
こんなクソ教師が他にもいるかと思うと…

N君も自分もたぶん誰かにはめられたと思う。
でもそれがBBAだったかどうかはわからない。
というかBBAならあんな火病みたいな、
文字通り発狂するようなことにはならず
罵倒しつつもどこか冷静に意地悪く絡んできただろうから。
むしろ密告制度がそういうことをする歪んだ児童を産んだのではないかと
今になってみれば思うなあと。




163名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)00:56:39 ID:0CNpZ09ue

乙…
その先生と同じような先生、身に覚えあるわ。
小学六年生の頃の担任だった。
依怙贔屓激しいし、人の話聞かないし、気に入らん生徒ビンタするし罵倒するし、子供の心を抉るようなくさし方するんよな…そう言うBBAって。
もしやその教師、名字のイニシャルAと違いますか?
何か酷似し過ぎてて、こんな教師が世間に沢山いるのかと頭が痛くなりました。




164名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)01:41:26 ID:VBFFIzfwR

Nくんもあなたも、BBAにハメられたんだと思う。
学校のロッカーじゃ施錠もできんから
教師にしてみれば受け持ち児童の私物を持ち出すのはたやすい。




165名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)08:14:35 ID:9GBWoy1tb

昭和の教師って酷いのいっぱいいたからね。
しかし黒板の半分使えないとか他の教師の間で噂にもならなかったのかね?
最近の学校は副担任とかで常に複数の目が届くようになってるんでこういう独裁者みたいな教師も過去の遺物になったろうと信じたい。




166名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)09:24:17 ID:B9fv5Nla7

うちも似たようなもんだったな。気に入らなきゃ蹴りにビンタ、でかい定規で叩く、人格否定。
親が抗議すれば「人に尋ねれば私は良い噂しか言われない人間です。問題があるのはお子さんでは?心の問題を見てくださる大学病院を紹介いたしますが」
最後には修学旅行先で学年が戦没者の慰霊碑に
「戦争を起こしてすいませんでした。安らかにお眠りください」と土下させられた。
まー本当に頭おかしかったよ




168名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)11:13:46 ID:F0yO0bdJN

他の教師は何やってたんだよと腹立たしいが、同僚のキチに口出しづらい&他も似たようなもんと考えると結局救われる道は逃げることしかなかったんだろうな。




169名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)11:18:33 ID:DUdV1lC4L

そういうときは学年全体でおかしい。
あと他のクラスと競争してたりするから




174名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)13:56:07 ID:5kyP9ZDOz

私も、小学生の時の担任にやられた理不尽な行為は忘れられないよ。
私の場合は、胡瓜が嫌いで(いまも食べられない)給食を残してしまった。
当時の担任が『給食は残さず食べること』を絶対ルールにしてたから、激怒。

クラスメイトの男の子をわざわざ席から立たせて私の前まで移動させて、「人間じゃねぇ!!」って私に向かって言わせた。

当時も、胡瓜が食べられないだけで人間じゃないなんて、変なの。って、なんというかショックを受けるより呆れが強かった気がする。
小学生の頃のことなのに、ずっと忘れられないものだね。




175名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)14:36:04 ID:BEFT9uRo2

>>174
給食絡みは今でもあるある
先生によって対応も様々だけど、掃除の時間まで食べさせられる子もいるみたいで
不衛生だなーって思う。

私自身も酵素アレ持ちらしく、キウイ・パイナップル・メロンを食べると
しばらく咳が止まらなくなるから、なるべく食べないように避けてたんだけど
「残さず食べさせる!」主義の先生が担任の時は最悪だったよ。
咳を5校時まで引きずってると「わざとらしく咳するな!うるさい!」とか言われたし。
経験上、45歳以上の女の先生は最悪率高い。
更年期入ってるのかしらないけど、ヒステリーな先生ばっかりだったよ。




176名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)14:44:28 ID:W6Ox8myrF

時代もあるんじゃないの?
今よりアレルギーに対しての知識もなかったし、教師という立場も強かったからね




177名無しさん@おーぷん2014/05/20(火)14:52:09 ID:bC72NQCCj

学校出てすぐ教職に就き、周りから「先生」などと呼ばれ、
日教組に入って、ずっとそんな調子で人生送ってきてきたような連中だぞ。

世間一般の常識を持っているのなんて、きわめて少数派。
特に「親の代から教師」なんてのは、ほとんど箸にも棒にもかからない。




206名無しさん@おーぷん2014/05/22(木)03:39:43 ID:W91NwLzR5

まだ見てるかな?
そいつ、イニシャルT?
同じようなエピソードだらけのやつが担任だった。
特に、下層組(特別席と呼んで机など隔離されていた)があることや、ハンデある子に対する接し方がそっくり。
私のクラスには、足悪くて歩行器具つけた男子Aくんがいた。
もちろん特別席。
Aは走るのが遅い甘えだ、と言い、クラスメイトが身守る中、無理矢理走らせていた。
遅いぞ! と罵声が飛び、がんばれえ〜と上層組が応援する中、Aくんは必死の形相で器具をギシギシ鳴らしながら走ろうとしていた。
そんな異様な光景を大人しく見ていた自分は、特別席の人間だった。
ちなみにそいつの口癖は、「私は差別しているのではない。区別しているのだ」。
だから、Aく●に対する言動も全て区別だからOK。
のちにAくんは、159のNくん同様、転校していった。

159が同一人物じゃなければ、似たようなやつがほかにいたなんてとゾッとする。




13 COMMENTS

匿名

胸糞悪いだけの話まとめんなよ
一致団結してクソババア自殺に追い込んだとかにしてよ

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匿名

昭和はこういうキチ先生は多かったが、ウチの母親も負けずにキチだったから理不尽に屈せず戦ってたな。まあ、母親も教師だったからねw

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匿名

教師の性別は関係ないと思う。
私の場合は男の先生がクソ野郎だったし。
●体育のテスト
私(喪デブス):100点
友人(可愛い):70点
●スポーツテスト
私:オールA
友人:Bが3つ位
●授業内容
二人共可もなく不可もなく。休んだ事はない。

これで一回だけその友人に話しかけられて答えたら、クソ野郎激怒。成績は何故か私だけ授業態度Cにされて、友人はAだったからね。
更に5段階評価の成績も私は3でその子は5。

次の年に女の先生になって、真っ当な評価を貰って泣いた記憶があるな…。

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匿名

※1※3
いや、昔はこういう先生本当にいたんだよ。
今でも多少なり隠れてると思うな。
俺の嫁が教員で、「最近の親は〜」みたいなこと言うけど、それはお前らの組織が積み重ねてきた結果じゃないかと思うことも多い。

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匿名

宗教じみた団結を見せる隣のクラスを気持ち悪く感じてた
後年聞いたら、やはり恐怖政治を強いていたらしい

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匿名

聖人君子であることが望ましいけど、そこまでは望まない
だけどせめてまともであってくれ
なんで先生って就活失敗した奴の墓場みたいになってんだろうな…
まぁブラックで給料低いから仕方ないんだろうけどさぁ

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