1: スナドリネコ(京都府):2013/01/18(金) 18:36:31.12 ID:NwP6uKIh0
今日が最後の弁当だった。 弁当に手紙入ってた。
いつも作ってもらってるのに 文句ばっかいって 本当に迷惑かけたと思う。
でも、改めてやっぱ母さんの大切さに気づいた。 母さんありがとう。
卒業式にもう一度『ありがとう』って伝えよ。
http://twitter.com/nyantaaaaro/status/291919672830459904
いつも作ってもらってるのに 文句ばっかいって 本当に迷惑かけたと思う。
でも、改めてやっぱ母さんの大切さに気づいた。 母さんありがとう。
卒業式にもう一度『ありがとう』って伝えよ。
pbs.twimg.com/media/BA0bZVKCAAAYhWs.jpg
http://twitter.com/nyantaaaaro/status/291919672830459904
2: ベンガルヤマネコ(禿):2013/01/18(金) 18:37:54.14 ID:T1aQPEo80
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた
79: ベンガルヤマネコ(禿):2013/01/18(金) 19:10:16.61 ID:T1aQPEo80
>>31
漏れが吉原で体験したこと。 入店して待合室に通されると、オバサ ンが数人の客と話をしていた。 スポーツ新聞を読みつつ聞き耳をたて ていると、
全盲の息子が筆下ろしをし たいと言うので 付き添いで来たらしい。 オバサン(以下母)は色々心配事を口にし ていたが、話し相手の客数人は「大丈夫 」「心配しなくていいよ」 となだめていた。 暫くたって奥から白杖持った青年と姫 が待合室にやってきた。
革靴はピカピカで結構いい服をきてい る。この日のために揃えてあげたのだ ろう。 母はソファから飛び出して姫と軽く会 釈したあと、「どうだった?いいこと出 来た?」 青年「うん。よかったよ。
このお姉さん のおかげで」 実は姫を指差すつもりが別の方向だっ たので、姫が素早く指した方向に移動 。 母は顔をくしゃくしゃにして泣きなが ら「あんたよかったね~!!」と背中を何 度もさすっていた。 客も拍手したり「よかったなあ」と激励 していて、
今まで無口だった893風 の客まで立ち上がって 青年の肩をポンポン叩きながら「あんた も一人前の男になったぞ」と祝福してい た。 姫も感動して泣いていた。実に素晴ら しい光景。
涙腺の弱い漏れは新聞で顔を隠しなが ら泣いた 。
8: スコティッシュフォールド(沖縄県):2013/01/18(金) 18:39:56.85 ID:8eyaw27L0
41: 黒トラ(大阪府):2013/01/18(金) 18:52:07.95 ID:+GC/RmAhP
文句言われても作り続けるって母親ってのはすげえな
俺は文句言われたから作らなかった
そして家庭崩壊したわ
俺は文句言われたから作らなかった
そして家庭崩壊したわ
51: リビアヤマネコ(内モンゴル自治区):2013/01/18(金) 18:54:41.19 ID:jn4RGfEk0
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
61: スミロドン(長屋):2013/01/18(金) 18:57:40.32 ID:ZiJqpA7D0
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
65: スミロドン(長屋):2013/01/18(金) 18:58:45.97 ID:ZiJqpA7D0
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
7: マヌルネコ(千葉県):2013/01/18(金) 18:39:48.86 ID:FWBaakmK0
ええ子や
78: ヨーロッパオオヤマネコ(福岡県):2013/01/18(金) 19:07:51.01 ID:SPhMfZN70
なんかぐっとくる手紙やな
80: コドコド(芋):2013/01/18(金) 19:10:21.56 ID:9fwWtFV+0
俺もそろそろニート卒業して
かーちゃんの為に働くわ
かーちゃんの為に働くわ
引用元:【画像】 母親の最後の弁当が話題に
まずいなんて文句言われて耐えながらも弁当作るかーちゃん想像したら
切ない
やばい目頭が・・
やばい江頭が・・